シャドーボクシング!
2019/04/21
見えない空に向かってパンチをくり出してゆく。
自分の中の誰かといつも戦っている人がいる。
シッカリした自分でなければと自己像を作った人は「シッカリしなくちゃいけない!」と…
努力こそ自分のすべてと思った人は「働け!サボるな!仕事しろ、仕事!」となる。
成功や金銭が何より自己実現と思った人は「もっと有名!もっと財力!もっと自己実現!」と自分で自分を追い立ててゆく。
人の言葉は無視できるが、心の中のアセりからくるシャドーボクサーは四六時中、自分を急き立ててきます。だから、いつも自分と戦っているから疲れている。虚空の敵と戦っている!
その宿敵は自分自身なのです。
自分が最大の敵のシャドーボクサーなのです。
こういう人は自分の限界を無視して働きつづけます。まるで試合終了のゴングが聞こえないかのように…
朝起きた瞬間からシャドートレーナーが「これでいいのか!休むな!立ち止まるな!」心の奥の自分自身にムチを打つ。
この不安な内面のボクサーは、自分の疲れを無視して自分自身を追い立てていく。
だから、疲れているけど、働いてしまう。
働いている時だけが一番安心して自分を許せるから心が落ち着いている。
でも、その働いた成果を感じないと不安になり、減量中のボクサーのように、さらに自分の目標や夢に追い立ててゆく。でも、それでも心の渇きは収まらない。
人は疲れたら誰もが休みます。
でも、このような人は疲れいても眠れない。
たえずシャドーに「頑張れ!努力だ!休むな!」とせき立てられ、疲労困ぱいしていても、それでも倒れるまで仕事を続けます。
それがピークを越えると抑鬱状態に突入してしまう。
抑鬱状態の人は、仕事はとても熱心なのです。普通の人よりも仕事に責任感があります。
でも、その仕事を本人が楽しんでいない。その仕事がキライなのです。
ではなぜ一所懸命に仕事をするのか、それはシャドーボクサーに変身した自分の不安感から熱心に仕事をしているだけなのですから…
そして、そのようなタイプは仕事以外に趣味がない。仕事以外の人間関係も少ないのです。
その理由は、いつも内面のシャドーボクサーが、自分を追い立ててパンチをくり出してくるので趣味や友達を持つほどに自分の余裕がない。
シャドーの自分が、心の余裕など許さない。
だから、その真面目さが周囲に向けられると意味もなく誰かに攻撃的になってしまう。
なぜなら、「自分は、これだけ目標のために戦っているのだから…」と自分の内面の完璧主義者のシャドーが誰かの不完全を許さない。
強い正義感、義務責任感、強い目標意識は、とても素晴らしいのだけど、周囲の人々から見るとナゼか不自然に映る。だから、誰もが離れてゆく。だから、また間違った思い込みで輝かしい成功を追い求めてゆく。
だから、その人には、なぜか明るさがない。
何かに緊張していてムリがあるからダウン寸前なのです。
シャドー化した完璧主義だった親が自分に入り込んだり、誰かに否定される恐れからサボれない正義感が自分を苦しめる。
本人自身も、いつも正義感で生きるのはツライ。しかし、正義感に劣る自分はもっと許せない。
そのように進退きわまった状態が抑鬱状態に向かわせる。
抑鬱タイプの人は、ごまかしたり、時に流される生き方を嫌がる。
しかし、「それをしない」のではなく、「それができない」ところに深刻な問題が隠れているのです。
本人自身も、いつも誰かとぶつかる正義感、義務感、完璧主義感で生きるのもツライのです。でも、ズボラな自分で生きるのは、もっとツライのです。
このように抑鬱タイプ(メランコリー型)の人は、このダブルバインド(二重拘束)が、心を支配しています。
だから、必要なことは…
自分を許し、流されることも許す。自分のズボラも許して、防衛している自分のガードを下げるしかないのです。
社会も、仲間も、誰もあなたを責めはしないし、周囲の人々、そしてこの生きている世界を信じてほしいのです。
幼い時の周囲の人々に脅かされた人ほどガードをあげてガードごしに社会を見ています。
だから、自分は頑張らなければ意味がない。理想的な人間でなければ許されない、と自分に対して厳しいシャドーボクサーが出来上がる。だから、他者にも厳しくなる。
このようなタイプに必要な考えは何か?
そうです。戦う本当の相手は、自分の間違った思い込みと、社会に対する不信感です。
人は成功しなくても、愛してくれるし、誰も攻撃なんかしてこない。時には流される時があってもいいし。失敗は終わりではなく、学びの時だと思えば自分を許せます。
そして、外と戦わないで(環境、仲間、サボる普通の自分)、自分自身の間違ったシャドーボクサーと戦わなければならない。
「もう、自分を自分で攻撃しないでくれ!」「今日は積極的にサボる!」「時には、流される時もあるのだ!」「誰かに勝つことだけがすべてじゃない!」「清濁併せ呑む、自分の弱さ、完璧でない心を、引き受けてこそ人は強くなれる」「弱い犬ほどよく吠える、真の強さは意味なく戦わない心の柔軟性なのだから!」
と自分の完璧主義感に、正義感にパンチをくり出してゆくのです。
自分を攻めるシャドーボクサーの叱責に、カウンターパンチで反撃して、自分の優しい時間を作ろう!
そして、この世界は決して頑張れなくても見捨てる人たちばかりではないと、ゆっくりと流れてゆく時間に遊ぼう。
さぁ、おそろしい減量の呪縛をふりほどいて、心のシャワーを浴びよう。
世界は、こんなに水々しい