「私は正しい」は怖い〜
2019/04/21
以前に講演会で
「幸せとは白亜の豪邸に住むことでも、高級外車を乗り回すことでもなく、出世し続け、毎日フランス料理店でのディナーを食べることでもないのです。
幸せとは外の華々しい出来事にあるのではなく、小さな中にも幸せを噛みしめる能力なのです。
そう、お日様が変わらず天空にあることや、子供達が今日も元気なこと、奥さんが作った質素なお弁当の中にも幸せは隠れています。そう、何気ない変わらぬ泣き笑いの日々の中に、たくさんの幸せを感じ取れることが『幸せ能力』なのですよ」と語った。
すると後日僕のオフィスに、お手紙が舞い込みました。
「私は女性の自由を開放する運動をやっている者ですが、あなたは女性蔑視です。講演会で『奥さんが作ったお弁当』と言いましたね。その発言は女性を侮辱しています。ご主人(男性)がお弁当を作られてもよろしいのではないのですか⁈
僕は「え、そこに焦点が」(心の声)
人前で講演をされる方が女性蔑視とも取れる言動を今後一切なさらないように。前半のその内容で、気分が苛立って講演会は後半聴けませんでした。いいですか、女性が、そのような発想の男性に、どれほど泣いているか」
僕は「え~っ、僕は女性の味方だと思っているのに」
あるいは「子供の時の親子関係が大人になって、色濃く性格に影を落とすこともあります…だから、子供を叱る時には「罪を憎んで、人を憎まず」と言うように、子供の人格を全て否定する『あなたみたいな子供がどうして生まれたの』という叱り方ではなく、子供の『○○の行為は、お母さん悲しかったわ』と、子供の人格を完全否定する『YOU』が主語ではなく、私は悲しいという『 I 』で伝えましょう…
この講演後に講師控え室に「私はお母さんがいないのに、親子関係のことばかり話されてショックでした」と、泣きながら女性が入って来ました。
これは僕もショックでした。
何百、何千人も入る講演会場で話していると、このような立場の人もいるのでしょうから
その時に僕は「お母さんがいなければ、君がお母さんになったら、気をつけようと、将来のための話しだと思って講演を聴いてみて」と伝えましたが、彼女は「でも私は母がいないから結婚出来ない」と泣くばかりで、こちらが悲しくなりました。
ある時は…「娘がウツなのに、今日はウツの話がなかったですわ。一言でウツが治る方法を教えてよ」と講演後の本のサインの行列を無視して入って来られ、サインを中断させられ、凄い剣幕で問い詰められたこともあります。僕が「奥さん。後でお時間を取りましょう」と言っても聞き入れない。「私には時間がないの…教えてよ。ウツが治る方法を。教えないさいよ」の一点張り。
心の中で僕は「この周囲の状況を無視しても『私が困っているのよ』という、その威圧的な態度が子供さんをウツに追いやったのではないですか?」と叫んでいた。
もちろん「まぁまぁ」となだめましたが…
これらの人々に共通するのは「被害者の立場から責めてくる。そして、自分は傷ついていることを強調する」これを心理学では受動的攻撃性と呼びます。
なぜなら、傷ついたと言われると、まずは誰もが謝るしかない。でも、「怒っている自分の考え方にも、片寄りがあるのでは⁇」と自己反省しないのが攻撃性の強い人の特徴なのです。
最初の例で言えば「『女性がお弁当を作るべき』という考えでこの講演者は語っているのではないだろう。一般的な例として語ったのだろう」とか…
二つ目は、僕が女性に語ったように「自分が親になった時の勉強だと思って聴いておこう」とか。
三つ目の例は『「ウツについて」というタイトルの講演会ではないので、今日は「ステキなコミュニケーションについて」の話だから心理カウンセラーの話しでも、自分の聴きたいテーマだけを話されるわけではないわね』が現実認識なのだと思うのです。
が、しかし、これがこのようにならないのが受動的攻撃性の特徴なのです。
そう自分は「被害者だ」という、自分だけに意識が向いているから、それ以外の現実は見ることも、感じることも放棄してしまう。
このような人は心理学では、何か人生に対しても、他人に対しても無意識に怒りを持ち、それを心の中に貯蔵していると言われています。
そして、何かのキッカケで、心の中の怒りを吐き出し、攻撃を始める。だから、怒りたい内容は何でも良いのです。
まして「自分は間違ったことは言って いない。自分は、自分たちは可哀想なのだ」という自己愛的な正しさは、怒りを流すには、とても都合のよい口実の伝導体になるのです。
日々の生活の中にも、たとえば、彼女が彼に対してケンカを始める時にもあります。
あ‼ もちろん、彼が、彼女に対してケンカを始める時にもありますよ(今、受動的攻撃性の人を恐れました女性だけではないでしょ)
そう、すべての人にあるのかもしれません。
だから、戦争でも、何でも、自分は正しい!間違っていない‼ と思う時ほど、怒る時には慎重になりましょう。
「でもね、衛藤先生私は間違ったこと言ってますか⁈」
は、ははい、そうですね。
でも、そ、そ、その攻撃性が問題なのでは