妻の中にある光。
2019/04/21
情報社会だと言われます。
だからこそ情報をどう扱うかで、その人の無意識が垣間見えます。まさに、言動は心の投影なのです…
「みんながそう言っているわよ」と言ってくる人は時として、言ってきた当人が一番言いたかった傾向があります。
とくに、相手へのマイナスな情報は、よりその傾向が顕著に現れます。
「みんなが…」と言う言葉には誰に対しても、それなりの破壊力があるからです。それを知っているからその論調になるのです。
自分では戦えない時に、多勢に無勢で仲間の力を借りようとする心理です。これは姑息な戦法と言えます。
本当に相手のために思っているならその話を聞いた時に、その場でマイナスな情報に否定するのが友情です。それに、相手に対してマイナスな話は、その状況をしっかり確認して当人に伝えるのが人間関係です。
時には、それを自分の中でバカなウワサとして切り捨てて当人には伝えない。
インディアンは言います。友達には、2種類あると…
心を砂漠のように殺伐とした世界に引き込む友と、心を光と優しさに導く友です。
マイナスの感情(悲しみ、怒り、悪口)に引っ張ってゆくのは、あまりステキな友とは言えません。反対にプラスの感情に導いてくれる友は、やはり真の友情と言えるでしょう。
いっけん、誰かの悪口は仲間意識を盛り上げます。でも、しょせんマイナスな感情に導いてゆく友なのです。
なぜなら、怒りの感情を助長するだけで怒りの気分に火を注いでいるのです。
ですから、怒りの感情を「そうそう」と助長する集団はマイナスな方向に人をとどまらせます。それは、心を砂漠に導く仲間なのです…。
だから、カウンセラーのC・ロジャースは、人の悩み相談の中で「同情」や「同意」は、やってはならないと戒めました。
マイナスな感情への仲間の同意、同情は、悩んでいる人に対して、仲間意識は生まれますが前向きな展開にはならないからです。気分をより怒りに傾けるため感情をあおいでいるだけになるからです。そう、怒りに油を注ぐのです。
僕は妻に対して、いつも感心することがあります。
僕が誰かの言動に引っかかり、自分の中の暗い気分を語っても、妻は不安な気持ちをくみ取ってはくれますが、マイナスな感情に同調せず「きっと、こんな気持ちで相手は言ったのかなぁ」と、僕に別のプラスの見方を教えてくれます。
僕はそれを聴きながら「おめでたい見方だ…」と思いながらも、なるほど気持ちは怒りに向かわないのです。
そして、その時は納得はできなくて「そうかなぁ」と思っていても気がつけば怒りや不安は治まっています。
やはり穏やかな人は、こちらの心を光と優しさに導いてくれているのです。
もし、その時に「そうよ、それはあなたをバカにしたのよ」と言われると、気分は荒野をさ迷います。
しょせん、確認できない事実などや、他人の心の中をモザイク画のようにマイナスに組み立てるのも人なのです。
だから、あることないことをプラスに組み立てるのも、マイナスな情報に組み立てるのも、その人らしさなのかもしれません。
ウワサや憶測の情報で確認できないことを「どのようにとるか」は、その人にある心の中の美しさ、醜さが投影されるのでしょう。
すべてを心豊かにプラスに組み立てて過ごしたいものですね。