「あるがまま」と「わがまま」

      2019/04/21

 いつも人に合わせてばかりいると疲れます。

 行きたくもないのにムリして付き合うとか、自分自身の仕事が手いっぱいなのに周囲から仕事を頼まれると断れないとか…なぜそのようになるのか?

 子供の時に「嫌われないように」と親から教えられ、親の期待どおりに生きてきた「よい子」ほど、誰かに嫌われることに恐怖を感じます。
 だから「相手の期待に応えなければならない」と自分の気持ちを抑え、いつも周囲に合わせます。
 周囲の顔色をばかりをうかがいては疲れはててしまいます。

 やがて人と仲良くなるのが怖くなり…楽しかった、サークルの集まりさえも苦しくなります。そして、職場にも仲間の中にも行けなくなる。

 だから、自己啓発本やセラピストに「あなたはあなたで良い」と言われると開放され「あなたのあるがままのインナーチャイルドを癒しなさい」と誰かに言われると「ホッと音譜」する。

 ただ、「あるがまま」で良いと言われると「100か0かタイプの人」は極端に思い込み。

 「もう、僕は自分を抑え込まない!」「私は私のことを分かってくれる人とだけ付き合うの!」と自分の感情を際限なく開放してしまう人がいます。

 そして、自分がキライな人の名前をあげて、周囲の顔色に気をとめないで悪口三昧に感情を爆発させる人がいます。素直と言うよりもマイナスなシャドーの反乱のような…

 それを聞いていた人たちは「そこまでは…」と思いながらも、何となく相づちを打たなくてはならないから帰りに「なんだか今日は疲れたね…」と悪口を聞かされたマイナスなエネルギーに疲れはててしまいます。

 だから、100か0かで開放し過ぎた人の周囲からは仲間がいなくなってしまいます。

 もちろん、本人は今まで抑えつけてられていた「よい子」から開放されて楽になったので「分かってくれる人だけと付き合えばいいの…そうよ…あせる」と、自分の片寄り過ぎた思い込みの世界にしがみつく悪循環に落ち込むことになるのです。

 これは「よい子」から「傍若無人」へと思い込みのパターンを極端に変化しただけなのです。

 「あるがまま」と「わがまま」は違います。「開放」と「垂れ流し」も違います。

 開放したからと言って、自分のマイナス面(シャドー)を周囲にまき散らすと、それは自分の周囲からステキな人達がいなくなってしまいます。それは周り回って自分に帰ってくるのです。

 では、どうすれば極端な動きをしなくてすむのでしょうか。

 人は自由でよいのです。過剰にムリをしなくてもOKなのです。

 ただ、人に迷惑をかけてまでの自由の追求、心の開放は、他人の不自由を作ってしまいます。自分の自由のために、誰かを不自由に追いやってしまえば、それはわがままです。

 これが僕なりの「自由の定義」だと思っています。

 だから、自分の心の開放だからと誰かを攻撃すれば、それは誰かのイメージを悪くして誰かの自由を侵害します。それも、やはりわがままです。

 また、誰にも不自由を与えてもいないのに、好きにやっている自由な人を攻撃するのは、それは「妬みの心理」です。

 「許せない」「間違っている」と公言しながら周囲を引き込んで、誰かの自由を攻撃し侵害するマスコミや個人も、やはり今の人生を楽しんでいない人たちなのです。

 そう「真実!真実!目」と言いながら、一生懸命に誰もが守っている心の包帯を取り去って、裁いている正義の仮面をかぶっている人達が、一番誰かを傷つけているのかもしれませんね。

 いら立ちの多い社会から「人は人」「自分は自分」と適度な距離を置ける
 心豊かな自由な社会に向かいたいものですね。


日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき











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