誰かの為ではなく。
2019/04/21
子供のために、会社のために、あなたのためにetc.
人の為と書いて「偽り(いつわり)」と読む。
親は子供が飢えるより、自分が飢えるほうがよっぽど気が楽なのです。子供が寒さに震えるよりも、自分が寒さに震えるほうが心は耐えられるのです。
だから、「あなたのため」ではなく、「わたしのため」にが真実です。
「あなたの為に~してやっている」は恨みになります。
「旅行も連れて行ってやっている」と思えば、旅行の準備をしている時に相手のノリが悪ければ不満になります。
でも、「自分がこの人と、なんとしても一緒に行きたいのだ」と思えば、そのことに腹立たしさは感じないのです。
だから、飲み会を途中退席して家族のために「帰って来てやっている」と思って家に帰ると不機嫌になります。
人はいつも一体感を求めます。自分と同じ感情をいつも相手に求めるのです。そして、自分の行為に感謝を求めます。
でも、現実は人それぞれ異なります。
それを自覚するのが離別感です。それは他人からも環境からも自立した大人しか持てないからです。だから、安定している。
人は「だまされた‼」と叫びます。でも、自分が相手を信じ、その時に決断したのだと、反省する人は少ないのです。
それができる人は独立した大人です。
だから、「あなたが子供の時に、こんなにしたのに」と言うのは、子供を通して自分の幸せを計画しているから、子供が自分の望まない方向に進もうとすることが許せないのです。
前にもブログで書きましたが、親の愛は子供と一緒にお風呂に入ることではありません。子供とディズニーランドに出かけることでもないのです。
いつかは自分が親元を離れたように、子供が親元を離れる覚悟で「今日この時」を過ごすことなのです。そして、子育てとは一人離れても生きて行けるようにすることです。
自分が誰かの大切な家族から、大切な誰かを引き連れて行ったのであれば、自分も家族から誰かを奪われるということを覚悟して「今」を大切に生きるということなのです。
人は一人で生まれ、やがては一人で死んでゆく。この厳然とした事実を引き受けて「今」をしっかり生きるのです。これは僕が冷めた人生観があるのではないのです。「今」これからも僕が熱く生きたいから、必要な覚悟なのです。
カウンセリングでの話。
ある奥さんに恋人ができた。そして、その奥さんは夫を捨て、身を切る思いで子供達も捨てて新しい恋人との生活が始まった。
しかし、この新しい生活はすぐに破綻した。なぜか、それはその奥さんの中に「あなたのためにすべてを捨てた」との思いがいつも存在したからです。
だから、新しい恋人が会社のつき合いで遅くなっても許せなかったし、日曜日に友人とゴルフに出かける相手を「あなたの為に、家族を捨てたのに」と責めたてた。新しい恋人はやがて気持ちが離れることになる。
この奥さんは「彼のため」ではなく「自分のため」で、新しい生活を始める必要があったと僕は思う。
人が冷める言葉とは「あなたのためにこんなに努力をしたのに•••」「こんなにお前たちのために苦労をしたのに•••」「こんなにも、あなたのために待ったのに•••」だそうだ。
「あなたの為には」やはり偽りの言葉です。それから始まったものは、自分がこんなにしたのに「あなたは何を返してくれたの⁈」と報酬を求めるようになり、やがて恨みになります。
好きで育てた、好きで会社のために命をかけた、好きで愛した。これが一番カラッとして潔いよい。
だから、なんでも相手の見返りを求めてムリをすると、愛も憎しみになります。
お布施とは、もらった人より、与えた人が一礼をするそうです。なぜなら、人のためにすることは「人助けをした」と与えた人が幸せを感じるからです。
だから、募金箱にお金を入れる時にも、募金してやっているではなく、入れさせていただく側であること、させていただく心の余裕と金銭が今、自分にあることに感謝してくださいね。
合掌••••