本当の強さとは••••
2019/04/21
「弱い犬ほどよく吠える」といいますが、本当の強さってなんでしょう。
飛行場の搭乗ゲートで大声を出している人がいる。「機材到着遅れのため15分遅れ」と電光表示板に書いてある。にもかかわらず「どうなっているんだ!何で遅れているんだ!」と地上係員に一人で激怒している。説明しても納得する様子は見られない。
カウンセリングでも、心理学の教室でも困った人がいます。「相談を今すぐにしたいから、カウンセラーから電話が欲しい」と言う。いくらスタッフが衛藤は出張つづきで、すぐには時間が取れませんと言っても「自分は親しいのよ」と怒りだす。
でも、そういう人にかぎって一度だけ本のサインの時に、お話した人でしかなかったりする。
なかには、カウンセリングで初回は予約制と言われても「すぐに話したいから5分後だ!」と言う。それは無理なのですと説明しても「私の家は、そちらのオフィスから5分と離れてないのだ‼」と怒る人がいる。自分の家は5分と離れていないのだから、そちらも5分でなんとか都合をつけろということになる。
カレン・ホルナイは「神経症的なプライド」の持ち主は、いつも自分が特別でないことに耐えられないと言っています。
The world should be at my service.(世界は私に親切であるべきだ)となる。
だから、自分が一般の生徒や相談者のように扱われることに耐えられない。
相手にも都合があるという現実が見えない。
誰かのブログにメッセージを入れても、すぐに相手が返信してくれないと許せない。まして、定形型の返信だと誠意がないと怒り出す。その人にとっては、いつも世界は「自分だけ」なのです。相手がどれだけの人とのやり取りで追われているかは想像すらできない。
まさに、The world should be at my service.すべては私に親切であるべきなのです。
いつも特別扱いでないと人生は楽しめない。だから、いつもチョットしたことでも怒りが頂点になる。
だから、神経症的なプライドの持ち主が、一番に嫌うのは普通の人としての扱いなのです。
順番はいや、待たされるのはいや、一般市民として扱われるのは一番嫌なのです。
でも、現実はやはり普通でしかない。周囲の人間関係も、一般の市民としか扱われない。
その「現実の自分」である真実に気づいて努力し楽しめる人は成長します。
でも、現実を否認して、自分を特別扱いしてくれない社会に背を向ける人がいます。「俺を理解出来ないなんて社会がバカなんだ」となる。
自分を普通の人として扱う社会を恨んで攻撃的になるか、その社会から逃避して引きこもってしまう••••
この神経症的なプライドの持ち主は、飛行機が遅れることも、渋滞に巻き込まれることも許せない。
恐ろしいことに、人間関係だけではなく、「運命」までもが自分にとって親切であることを望んでしまいます。
だから、早道だと思って選んだ道が渋滞していると、いつまでも悔やみ続ける。どの道がスムーズかも「運」なのです。
でも、その運に対しても「ちくしょう、ちくしょう、あの道を選べばよかった」と永遠に後悔してしまいます。
「あの本にすればよかった」
「あの時に別れなければよかった」
「あれを買っていればよかった」
いつまでも、激しくイライラし、嘆き続けるからストレスは、人一倍強くなる。
普通の人は「しょうがない」で済ませることが、気持ちがどうしても切り替わらない。
それは、その人が「神経症的なプライド」の持ち主で、非現実的な完璧主義者だからなのです。
ですから、あきらめの早い人や、気持ちの切り替えが上手い人は、心理的に健康なのです。
真に人間力が強いから、自分だけ特別でなくても、良いこと続きでなくても、平気でその現実を引き受ける心理的なタフさがあるのです。
いつも怒っている「あなた」へ
あなたは「弱い犬ほど、よく吠える」っていう言葉を知っていますか⁈
だから、林先生がいつも言っていますね。
彼の口癖「まぁ、しゃぁない!」で行きましょうよ•••••