ムリをしないこと・・・・
2019/04/21
春眠暁(あかつき)を覚えずといいますが、この頃はホテルに帰って、シャワーを浴びたらすぐに眠ってしまいます。
でも、「ブログを書かねばならない」「毎日、欠かさず書くべきである」は、ノイローゼの人の特徴なので、ここはカウンセラーを指導している僕が「~ねばならない」「~すべきである」に「とらわれ」ないで、眠たい時には眠っています。
そう、この瞬間も復旧作業を頑張っている人がいて。この瞬間にも悲しい虐待があり、家庭でも、会社でも、政治の世界でも、それぞれの立場で苦しんでいる人がいます。その人のことを思えば寝ているヒマはないのです。
だが、人は寝ます。いや、人はそういう存在でもあるのです。
自分が頑張っている人は、人にもそれを求めます。自分の限界を知っている人は、人の限界に寛大です。
お葬式の時に、遺族に「休んで下さい」と言える人は優しい人だと思います。「ずーっと悲しむでしょう遺族は」という人は頑張り屋さんです。でも、その頑張り屋さんがウツ病になったりします。なぜなら、人はずーっと頑張れません。でも、うつ病患者は自分の限界が許せいない。
すべてが100か0なのです。だから、70までエネルギーが落ちた自分が許せない。人が苦しんでいるのに、眠ってしまった自分が許せいないのです。だから、70の自分に気づいて、何もかも自分が嫌いになる。だから、0になる。いや、すでに数えることすら嫌になる。
そう、目覚めた時、30でもそこからスタートすればいい。でも、30の人を攻撃していた自分がいたから、自分が30になった時に、その攻撃性は自分に向かう。だから、徹底的に自分が嫌いになる。そして、ウツ的な気分になるのです。
トータルすると100で走る人より、30や20でキープする人のほうが長い距離を走れるもの。
一時的な興奮状態は持続しない。継続には適度な、いい加減さがいる。
もし、忠臣蔵の赤穂浪士が、主君の敵討ちをすぐ興奮して行動に移せば、幕府に気づかれてしまい討ち入りは失敗したはず。赤穂浪士のリーダー大石内蔵助は昼行灯(ひるあんどん)と言われた。
昼に行灯を灯しても「役に立たない」の意味。その大石内蔵助は、確実に少しずつ主君の仇討ちを計画し、吉良邸への討ち入りを成功に導いたのです。
もう一度言います。自分の限界を知る人が、人の限界に寛大なのです。そして、持続可能な長い距離を走り抜けます。
震災から3週間。緊張状態の冬が続いています。すこし気候がゆるんで春になると、人間も少しずつ緊張の糸がゆるんで起きれない状態になります。それは、心も身体もです。
そうなる前に、休む人は休んで欲しいのです。それは、復興の人々だけではなく、日々の生活で頑張り屋さんの「あなた」にも言えること。
いつも頑張るから、頑張っていない人に腹立つのですよ•••••
痴ホウの老人を抱える人が、日々の夜中の老人の徘徊と、意味のない罵倒に、ふと「母なのに死んでくれたら」と思ったと自分を責めて泣く。でも、毎日の戦いに苦しんだ経験がある人は、その弱気を責めないはず。
そんな自分の限界を知らない人が、正義と倫理の刃で、普通の弱気の人を傷つける。
政治の責任を取らされていない評論家が政治家を責めるのも同じ。
ありとあらゆる悲しみと苦しみの中で頑張れる人は頑張ろう。でも、頑張っていない他人を責めない。だったら、あなたも休もう。
ムリをしない。頑張らない。他人を責めない。自分も責めない。
そして、人生を責めないで欲しい。
お休み•••••
春の優しさの中で••••
休んでも誰もあなたを責めないから•••••