ノスタルジックを乗り越えて•••
2019/04/21
今日何げなくTVをつけると、金八先生のファイナル番組をやっていました。最後しか見なかったが、良くも悪くも時の流れを感じてしまいました。
この季節は、番組編成などもあり長寿番組が終わってゆくようですね。
日頃は見ていなくても何度か見た番組が終わっていくのを知ると、ほんの少しの寂しさを感じます。
街に「店じまいセール」の札があると、入ったことがない店でも、なんだか、少しのむなしさを感じるのに似て••••
ある時期までの、変化を楽しんでいた季節は過ぎ去り、すべてが変わることに、少しの淋しさを感じるのは、僕の過ぎ去った思い出のせい?
それとも、日本の勢いが失われていることを本能的に感じるせいなのか••••
でも、変化することが若さなら、失ったものを数える人生よりも、今はまだ、未来に出会う可能性を数える自分であろうと強く思った。
サーファーは乗り越えた波を見ていない、次の波を見つめている。だから、前に進んでいけるのだ。
人生も波に似ている。谷もあれば頂点もある。でも、その想い出の数々が、今の僕に自信と勇気を与えてくれる。
頂点だけでは、気づきのエネルギーにはならない。ボトムとピークがあるから生きるエネルギーを生み出すのだ。だから、これからも来るであろう谷をも恐れないで乗り越えて行かなければならないのだ。
そして、サーファーのように、たとえ谷に出会っても奈落に引きずれられてはならない。今の日本のように••••
なぜなら、ゲシュタルト心理にあるように「谷」と「峠」を逆さに入れ替えると、谷は峠に、峠は谷になるのだから。
別れは、出会いに、悲しみは、乗り越えた時の喜びに、意味の見出せなかった若さは、意味を見出せるであろう老人の楽しみになるから••••
なんだか、すべての過去が手を振り声援してくれるようで••••
悲しみになんかに負けるな‼
そこの君‼