トンネルを抜けると春・・・・
2019/04/21
立春を過ぎて、昨日も穏やかな太陽がコートの下に射し込んで思わずコートを手に持って街を歩いた••••
冬の語源は「殖(ふ)ゆ」にあるそうです。殖えるは「ふえ・たくわえ・そだつ」の意味があります。
春になる前に、土の中では根がひろがり、栄養をたくわえ、そだつ準備を始めているのです。
凍てつく大地の下では、着々と春に育つための準備を始めているのですね。
ある少女は、人生の冬の時代に「自分が何のために生きているのか」「私は誰からも愛されない」「私なんか役にたたない」と引きこもっていました。
彼女は、誰にも解ってもらえない悲しみを母親にぶつけたりもしました。
春の太陽でさえ彼女には無縁のものでした••••
今、その彼女は笑顔の美しい人になり、誰かの支えで生きてきたことに、心から気づいて、誰かの支えになる仕事がしたいと思っている。そして、今は春のような輝きの日々を生きています。
誰しもが冬の時代があるのかもしれない。失業したとき。失恋したとき。裏切られたとき。イジメにあったとき。大切な何かを失ったとき。
それを怒りに任せて放電するか、深く内察して自分に向き合うかで、春の訪れが変わってくる。
そして、冬のきびしさを乗り越えて、人は輝きを放つ。
大切なことは、その冬の時代を遠回りだったとするか、必要な学びの季節だったとするかで、それによって春の時代の人生の輝き方が変わるのだと思う。
僕も未来の可能性の大きさに目まいを感じ、大きくひらかれた未来という拡がりを前にして、おのれの自信も揺らぎ、将来の不安感でいっぱいの日々があった。
今にして思えば、その時に出会った人々、読んだ本、感じていたことが、すべて財産に変わっている。
メンタルの心理学のゼミを卒業して活躍している人々は口をそろえて言う。
あの教室で出会った笑顔、可能性と未来の狭間で、出会った仲間が財産だと••••永遠に••••変わることがない。
そうですね。成功した時や、成功した後には誰もが寄ってくる。でも、可能性の底で出会った仲間だから、真の友情なのだと••••
川端康成の「雪国」の逆で「国境の長いトンネルを抜けると、春の光り輝く人生が待っていた•••••」にしたいですね。