孤独であっても••••
2019/04/21
ツライのは、わかるのですが••••そう言う人は、自分が愛情を受け取ることを考えてばかりで、与えることをしていない人が多いようです。
英語でもgive and take と言うように「与える」から、「もらえる」のです。
呼吸も同じく「吐く」と「吸え」ます。呼吸パニックにおちいる人は、パニックになると「息を吸わなきゃ」と意識が向き過ぎて焦ります。
でも、空気の入った肺に空気を吸おうとしても入りません。無理なのです。
パニックの人は、息が吸えないので、アセってさらに空気を取り込もうとする。やはり空気の入った肺はなおさら吸えないので、さらにパニクる。これが呼吸パニック症候群なのです。
吐けば、肺の中に空気がなくなるので、ポンプのように空気が外から肺に入ってきます。
だから、水泳の呼吸は水の中で息を吐くのです。スイマーは、水中で息を絶え間なく出し続けています。だから、水面に顔を出した一瞬に、口を開くと自然に空気は外から入ってくるのです。やはり呼吸も出し切ることなのです。
だから、全ては「与える」ことが先なのです。
愛を与えるから、愛を与えられる人になる。
そして、人生には愛を与えても、愛が得られない時期もあります。
いつも、愛がないと生きてはいけないと思っている人は、「愛情の中毒患者」です。
赤ちゃんは親にミルクをもらい、抱き上げられて移動し、オシメを変えてもらえないと生きられません。でも、大人という存在は、愛のない時にも死にはしません。
人はみな、自分が一番に不幸だと思っている。恋人にフラレた時は、こんなに不幸な人はいないと思っています。でも、恋人と別れて眠れないまま夜を過ごしている人は、海の砂の数ほどいます。
リストラで苦しんでいる人は、「自分ほど不幸な人はいない」とカウンセリングの現場で泣かれます。でも、リストラで苦しんでいる人は、その瞬間にも、やはり星の数ほどいる。
僕は街の灯りを見ると、この瞬間にも多くのヒトは別れたり、後悔したり、自分など価値がないと思ったりしている人が、あの灯りのどこかにいて、それでも明日の朝の光を涙をこらえて待っているのだと思うのです。
淋しのは、あなただけではない。
だれもが、淋しい。
誰もが一人で生まれ、一人で去って行く。でも、それが誰もが進む道ならば、あなたも耐えなくてはならない。
もし、あなたが孤独な時には、この瞬間にも、この街のどこかに、あなたのように孤独に耐えている人がいる。誰もが思うようにならない現実に涙をこらえて生きている。
それが、見えない連帯感だと僕は思う。
孤独な時に、誰にも孤独があると知ることができれば、目に見えない人々のつながりを感じることが出来る。
だからこそ、くさらないで、恨まないで、誰かに「貴方が生まれてくれて好かった」と言われる何かを「与えて」生きるしかないのだ。
笑顔も与えないで、「くさって、なげいて、恨んでいる人」には、人も、愛も、その人の元から去ってゆくのだと思う。