博多の修了式
2019/04/21
トップシークレットなので、くわしくは語れませんが、講座のプログラム以上に感動とシンクロニシティー(意味ある偶然)があり、小説よりもすごい突発的な感動にみまわれます。
博多のグランドハイアットのシーン。
登壇する前の舞台裏でセルフでソーっと撮りました。下からだから怖いけど••••
ある女性に「なぜ、講座に来たのですか?」と尋ねたら、子供さんが自殺したと言われました。ショックでした。
昔に聴いた話だけど、やはり親よりも子供が先に死ぬのは仏教では罪だそうです。そういう子供は、賽の河原で罪のために石を積まされるそうです。「一つ積んでは父のため、一つ積んでは母のため」と•••自分の罪を反省しながら。
それなのに残酷なことに鬼が来てそれを崩すのだそうです。
最初はなんてヒドイ話だと思いました。
でも、この苦役から解放される方法があります。それは、子供を失った家族が、笑って生きるようになることだそうです。
鬼が来て「もう、おまえの罪は拭われた。もう、石を積まなくてもいい。親や、お前と出会った人が笑い始めた。おまえに出会えてよかったと言っている。おまえは釈放だ」と•••••
僕は、講演でカウンセリングをしている小児がん病棟の話をよくする。亡くなっていく子供達は、みな「大人になりたい」と言って亡くなっていく••••
それを聴いた人々が「その子供たちが憧れた一日を、大人として、ただ生きていました。だから、一日一日を感謝して、楽しまなくてはダメですね」
または、「いつも、手がかかる子供達から、幸せをもらっているのに、忘れていました」とか
「子供の明日の命を望んでいる小児がん病棟の親たちからすると、子供に振り回されるのも、進路のことで悩む日々も、憧れの日々なのですね••••」と感想を言われる。
いつも僕が話す「大人になりたい」と最後に泣いて亡くなったシュンシュンの話を聴いた人から手紙をいただきます。
「今日、子供を何も言わずに抱きしめたいと思います」と•••
ネイティブ・アメリカン(インディアン)は言いました。「命は終わらない」と、「すべてはストーリーに変えられる」と••••
そうです。僕の話す子供達は、今、生きている子供達をたくさん助けているのです。感動のストーリーになって。だから、僕はストーリーテラーになって彼らの死を語るのです。
亡くなった子供達がパワーストーリーになるように。
シュンシュン、すごいなぁ!今日も手紙が届いたよ。君のストーリーで、お母さんが、子供をやさしく抱きしめたんだって。お前はいまだにパワーストーリーとして生きているんだな。
そう、死者には「死」はなにも意味を持たない。死は、生者に大きな役割をもたらす。
だから、死は、僕たちに有限な命だから「今日をしっかり生きなさいと!」教えてくれる。
そして、死を悲しむために用いないで、しっかり生きている者達が、一日一日を充実をして生きるために、用いてあげなければいけない。
それが、「生者のつとめ」なのだと。
ストーリーよ、羽をつけて大きく羽ばたけ!
〈スタッフ紹介〉僕の席から•••
手伝ってくれたスタッフありがとう。君たちの日々の努力も、たくさんの羽になっています。
出版まであと2日