「お助けゲーム」にならないために…
皆さんは「お助けゲーム」という言葉を聞いたことがありますか?
これはTA交流分析という心理学の一派を作ったエリック・バーンの「ゲーム分析」の中に出てくる、人間の間違いやすい心理の一つです。
子どもに「結婚をしなさい」と言いながら、子どもの相手が決まりそうになると注文や文句を言って、破局すると「可哀想に」と急に元気になる親や、子どもが病気になることで自分の存在価値が生まれ、生きがいを感じるので、子どもを無意識的に病気にしてしまう。代理ミュンヒハウゼン症候群などもその一例です。
誰かの家族が亡くなった。どこかで子どもが不登校。知人が失恋したという時に、どこからともなく現れるのが「お助けゲームの主人公」です。
もちろん、本人は愛の人で親切です。でも、こういう時にこそ冷静に自分を見つめて欲しいのです。
どこかに妙な高揚感や存在価値が生まれていないか?
これは相手に直接頼まれたのか?
永遠に関わり助けられるのか?
熟練したカウンセラーは「いつでも」「どこでも」とは決して言いません。カウセリングは場所と日時、頻度を決めます。
悩んでいる人は深夜でも、毎日でも相談したいのです。
その安易な親切心が相手の依存性(幼児的な甘え)を助長するからです。
そして最初は「いつでも」と言っていた人ほど、しつこく関わってくる悩んでいる人に「いい加減にして💢」と怒り、さらに悩める人の心を傷つけてしまいます。
僕も過去、育ての母が自ら命を絶った時に「大丈夫かい?」と言って根掘り葉掘り聞いて来る大人によって、それが近所に広まり、「可哀想にね」と言いながら、夫の愚痴や、芸能のニュースと同系列で、近所で語られる姿を見て、子ども心に傷ついたことを覚えています。
大人になり、子どもが小児がんになった時にも、心配そうに聞いてくる人に、同じように病気の経過を説明し、どうしようもない現状を説明することに嫌気がさしたことがあります。
もちろん、皆が心配して聞くことには悪気はないのです。ただ聞き手は初めての質問でも、悩める人は同じ話を繰り返しているのです。
そんな経験を通して、僕が心がけるようになったのは、バックアップすることだけを伝えることです。
「いろいろあるでしょうけど何かあったら声をかけて下さい…」と、これは留守番役でも、車の送迎でも、買い物でも良いのです。それがバックアップです。
友が誰かと別れた時、知り合いの家族の誰かが亡くなった時には、根掘り葉掘り情報を聞かない。向こうが話したい分だけを聴く。そして、遠くから祈り見守る覚悟です。
これが多くの心のストレスが抜けた人々が、後で「有難い存在だった」と言われる姿勢だからです。
あなたは知人の「困った」を聞いたら、どんな態度をとりますか?
興奮気味になっていないか。
それを聞きに行くことが、相手にストレスにはならないか。タイミングは今なのか。
これらが頭に浮かぶ冷静な人と、すぐに正義感で直線的に動き始める人が、お助けゲームの主人公になるのです。
そんなシチュエーションの時には、立ち止まって自分の心の裏を見つめるトレーニングが大切ですね。
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心理カウンセラー衛藤信之
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