大阪校 太田 美千代さん(39歳 女性)
私がメンタルの扉を叩いたのは、H19年の5月。 もう3年以上前になります。その頃の私は、自分が大っ嫌いで、自己全否定でした。
他人の目が気になり、他人の評価が気になって気になって、自分を出せず、そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。基礎の修了レポートに書きましたが、その理由は書けませんでした。
過去のことを思い出したくなかった。過去を振り返り、見つめることが怖かったんです。変わろうとしてるのに、また引き戻されるのではないか?と。 メンタルのホームページで受講生さんの修了レポートが掲載されるようになり、自分は全然自己開示していないと思いました。
そして、研究コースも終えた今、あの頃向き合えなかった過去と向き合い、自己開示しようと、再度、自分史を書いてみることにしました。
私は、小、中学校の約9年間、言葉の暴力、精神的ないじめにあっていました。 恥ずかしい話ですが、小学校1年の終わり頃に学校のトイレで足を滑らし、綺麗になってからですが、便器に片足が入ってしまったことがあり、それから、私のあだ名は太田菌となり、バイ菌扱いされ、皆に避けられるようになりました。
私が通ると私に当たらないように、触れないようにと避け、触れてしまうとバイ菌が移ると大声で叫び、他の子になすりつけ、またその子も、といったことを目の前でされていました。
机を離されたり、筆箱が壊れていたり、当然誰も口を聴いてくれず、私は孤独でした。 耳に入るのは、罵倒ばかり。
学校に行くのが嫌で嫌で仕方なっかたけど、母に学校に行きたくないともいじめられているとも言えませんでした。言えば、いじめられることをなんかしたんやろう!いじめられるお前が悪い!絶対そう言われると思っていたから。
それだけは言われたくなくて、いじめられていることは隠し、学校では友達がいっぱいいて楽しい。と嘘をついていました。
一度、髪の毛をはさみで切られたことがあり、その時は隠せませんでしたが、幸い、その相手は問題児と言われていた子なので、母はさほど気にしなかったようでした。
学校でのいじめよりも母に嫌われること、お前が悪いと責められることの方が怖く耐えられなかったのだと、今思います。もともと、私は母に愛されてる自信がなかったから。 母は否定的な人で、私が何かお手伝いをしても、出来てないところをいつも責められていました。
洗濯物を干したら、この干し方は何?恥ずかしいからやめて、しない方がマシ。 一度は、近所のお祭りの日で、お小遣いが欲しくてしたんやろう?と言われました。 何をしても認めてもらえない、そう思いました。
私には七歳離れた兄がいます。父親がいなかったせいもあってか、母は兄をすごく頼っていました。私はいつも疎外感を感じていました。
そして、私はお荷物なのだ、存在価値がないのだと思え、必要としてもらう為には? 愛されるためには?と必死になっていました。
だから、学校でいじめられていることなんか絶対に言えない! 世間体をすごく気にする母に、学校に行きたくないなんて言えない!でも行きたくない!風邪さえひけば学校を休める。と真冬に窓を開けて寝たこともありました。
雨が降りそうな時わざと傘を忘れていって長時間雨の中を歩いていたこともありました。でも翌日ぴんぴんしていて学校に行く。そんなことを繰り返していました。
最初は何でこんなこと言われなあかんの?と思っていましたが、クラスの男子だけだったのが、学年全体の男子からになり、女子も面白がるようになり、クラスの半数の女子も加わりました。遠足等で班を決めないといけない時は、私を押し付けあっていました。 私の目の前で。
そういった光景を見、人格扱いされない言動を毎日毎日聞いているうちに私はこんなことを言われるに値する人間なんだ。と思うようになりました。
でも中学になれば、他の小学校と合併になるので、マシになるかと期待しましたが、人数が倍になっただけでした。いつの間にか、私は、何を言われても雑音として捉え、何も感じない術を身につけていました。
そうしないと私の心は壊れてしまうと無意識で自分を守っていたのでしょう。家でも、学校でも私は存在価値がない、私の居場所はない。私は誰からも認められないダメな子。といつしか自分で自分にレッテルを貼っていました。
小学校4年くらいの時に、母に、「ごめんな、お母さんにお金があったら、あんたの顔成形したるのに」と言われ、母にまでこんなことを言われるほど、自分は醜いんだと、全否定するようになりました。
私の中に、親だけは、事実はどうあれ、自分の子は可愛いと思うものだと思っていましたから。そんな9年間を過ごし、高校進学を考える時、私は学校に何の魅力も感じず、高校に行きたいとは全く思いませんでした。兄がもう働いて家計を助けていたので、私も働いて家計を助けたい、そうすることでお荷物じゃなくなる。
そう思いましたが、体裁を気にする母に高校だけは言ってと言われ、でも、同じ中学の子がいる高校には絶対行きたくない!自分を変えるためにも、誰も知ってる子がいないところに行きたいという思いも強く、定時制高校に行くことを母に納得してもらいました。
高校では、わざと悪ぶって、いわゆるヤンキーと言われる同級生や先輩に近づきました。 そうすることで、いじめられることはないだろうと思ったからです。
お陰さまで、いじめからは解放され、初めて男の子からも人扱いしてもらえるようになりましたが、常にこれで良いのか?という違和感がありました。悪ぶってるだけで、それは本当の自分ではない!とどこかで思っていたからだと思います。
高校では友達は出来ましたが、心底人を信用できなくなっていた私は人が離れていくかもしれない不安が常につきまとい、友達が自分のことをどう思うか?が気になって気になって、人の目を気にしながら行動するようになり、いつの間にか、やや対人恐怖、対人緊張傾向になっていきました。
そして、高校を卒業して、就職してからは、人づきあいがうまく出来ず自分の殻に閉じこもるようになりました。母に対しては、認めてもらいたい、必要としてもらいたいという想いがどんどん強くなり、いつからか、母に認めてもらうこと、必要とされることが私の生きる目的となっていました。
しかし、家にお金を入れても、母が行きたがるところに一緒に出かけても、旅行に連れて行っても、母の口から出るのは不満や否定ばかり。
どれだけやっても認めてもらえない、必要とはされないんだなと自分の存在価値すらわからなくなっていました。
自分で自分を全否定していたので、やりたいことも、夢も持てず、ただただ、生活の為だけに働き、ただ生きてるだけでした。5年前母が癌になり、他界し、介護士として働くようになってから、そこでまた、人間関係に悩み、自分を変えたいともがいていた時に、メンタルを紹介してもらいました。
体験で衛藤先生のお話を聴いた時、こんな過去を持ちながら、それを笑って話され、こんなにイキイキと輝いておられる、こんな方がいるのかと衝撃を覚え、この先生のお話をもっと聴きたい、ここで学べば、変われるのでは?と講座に通うことを決めました。 講座で、I Love you,because you are you という言葉を聴いた時、ああ私はこう母に 言ってほしかったんだと思いました。
私は条件付きの愛でしか愛されないと思い込んでいたから。そして、カウンセラーでも救えないのは自分が嫌いな人です。という言葉も衝撃でした。そして、自分を好きになりたい!と心底思うようになりました。
そう思いながらも、毎回講座で、自分の見たくない部分や自分の思いこみの強さや、恐ろしくマイナス思考なところに気付かされ落ち込みました。私は、子供の頃のいじめと、母からの否定とで、人から拒絶されること、否定されることが何よりも怖く、その恐怖から、人と関わらなければ否定されることも、拒絶されることもないと、出来るだけ人と関わらないようになっていきました。
人と話すことが怖くなりました。でも、メンタルに来て、人と話せるようになりたい! そう思うようになり、毎回食事会に参加するものの、やっぱり話せず、また話せなかったと落ち込んでました。
それでも、今までの自分なら、食事会に参加すらしなかったけどこうして参加するというのは私にとって一歩前進だし、人の中にいるということが練習だと、ひたすら食事会に出続けました。 講座も、再受講をし続けました。 繰り返し、再受講することで、自分がいかに欠けているところばかりに焦点を当てていたか、最悪の受け取り方ばかりをしていたかに気付き、母に対しての捉われも、自分の思い込みだったり、欠けてるところだけに焦点を当てていたことに気付きました。
私が勝手に条件付きでしか愛されないと思いこんでいただけではないか?否定され、責められる、という部分にだけ焦点を当てていただけではないか? 母から無条件の愛ももらっていたのではないか? 母もまた不器用で、表現が下手だっただけなのではないか?
そんな風に考えられるようになり、一つ一つ、解消していくことができました。 そして、自己全否定だったのも、人や、母から植えつけられただけのもので事実に伴っているものではない、自分の思い込みだったことに気付き、少しずつ頑なだった心が解れていきました。
人と話せないのも、自分がまた傷つきたくないという思いから、勝手に心を閉ざし、壁を作っていたことにも気づき、少しずつ、心を開き、壁を壊していきました。
そうすることで、時間はかかりましたが、人への恐怖や、不安が薄れていきました。 そして、変わっていけてる自分を感じるようになり、それが小さな自信となり、再受講を2年くらいし続けているうちに、すっかり、人への恐怖や不安はなくなり、楽に楽しく人と話せるようになり、気付けばメンタルで友達も出来ていました。
研究コースに進む頃には、いろんな人と知りあうこと、話すことが大好きになっていました。そして、研究コースで、更に深く学んでいき、自分と向き合うことで、またさらに母の言動を理解できるようになり、母からの捉われもなくなり、ました。
母との楽しい思い出もたくさんあったことや、母から無条件の愛ももらっていたこと愛されてる感もあったけど、私が母の否定的な部分にばかり焦点を当て、勝手に条件付きでしか愛されていないといつしか思うようになっていたということに気付きました。
母もまた、必死だった、経済力がないことへのコンプレックスがあり、精一杯虚勢をはって生きて来たのだとも気付きました。そうしてたくさんの気付きを得て、自分自身がすごく楽になりました。
今では、たくさんの大切な心から信用出来る友達、仲間がいて、やりたいこと、夢も出来、今を楽しみながら、日々、学びを深めていってます。
自分が嫌いで、自信がなく、恐ろしくマイナス思考で、すぐに落ち込んでいた私が、今は、何かあっても、その事実を認め、ここから得られるものは何だろう?何のメッセージだろう?と考えるようになり、プラスに受け取ることができるようになりました。
そして、もう少々のことがあっても私は大丈夫!と自己信頼が持てるようになり、そんな自分が今は好きです。
母に対して生んでくれてありがうという気持ちを、母がいる間に持つことは出来ませんでしたが、今は心から、生んでくれてありがとうと思っています。
過去にこだわり、捉われていた自分とはさよならし、今の自分を認め愛し、今を楽しみながら、精一杯生きています。
こうした今があるのは、メンタルの先生方をはじめ、スタッフの方々、ボランティアの方、そして、仲間のお陰さまだと心から感謝しています。
研究コースまで終わった今は、今度は私が自分に出来る精一杯で、悩んでる方苦しんでいる方のサポートをさせて頂きたいと思ってます。その為にも、自分が笑顔でイキイキと輝き、日々を楽しみ、そして学び、向上していこうと思います。 メンタルヘルス協会に出会えたことは私の転機であり、財産です。
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:磯馴 |
実は以前、太田さんの基礎コースの修了レポートを一度掲載させて頂きました。 (2010.01.04掲載 磯馴担当分)
今回のレポートを掲載させていただくことになった経緯は、前回の修了レポートでは自己開示があまりできていないと感じていた太田さんが、再度自分を見つめなおして新たに書き直したことがきっかけでした。
以前のレポートでは書いていなかった自分の過去。 それを書こうと思ったということは、太田さん自身が自分の過去をしっかりと受け止めて向き合ったということ。その姿に太田さんの心の強さを感じさせて頂きました。
『心理カウンセラーは人を救う仕事ではなく、自分が癒される仕事なのです。』
衛藤先生はそうおっしゃいます。
以前のレポートを掲載させて頂いたとき、太田さんは研究コースを学び終え、公認カウンセラーの試験に挑んでいるところでした。
現在の太田さんは、晴れて公認カウンセラーの資格を習得されています。
研究コースでは、基礎コースで学んだことをさらに掘り下げて深く学んでいくのですが、学べば学ぶほど、『自分を深く見つめる』ということにも繋がっていきます。
太田さん自身、カウンセリングという学びが、過去の自分を癒すことになっていったのかもしれません。
人には見せたくない自分。 それは多かれ少なかれ、誰の心の中にも存在するもの。
でも、それを塞ぎ込んで『人前では良い自分しか表現してはいけない』というプラスの仮面をかぶり続けて生きると、マイナスな自分が許せなくなって、逆に苦しくなっていきます。
とても辛かった時期の過去を人に話すということ。 それは、とても勇気がいること。
できれば隠しておいたほうが楽。 言わないことで、過去に引き戻されてしまうのではないかという不安がやわらぐからです。
でも、太田さんはその一歩を踏み出し、塞ぎ込んでいた過去をさらけ出して表現しました。
それは言いかえると、言わないことで不安を解消するという選択ではなく、言うことで何があっても自分を信じるという選択をしたということ。
『本当のプラス思考とは、楽天的にプラスの部分だけを見つめていきましょうということではなく、マイナスな事や嫌なことがありながらも、それを受け入れた上で自分にとって最良の選択することです。』
先生は講座でそうおっしゃいます。
カウンセラーが相手との信頼関係を築くために最も必要なことは、どれだけ能力があるとか、経験があるかをアピールすることではなく、自己開示をすることが最も重要。
それは、カウンセラーである以前に一人の人間としても同じことが言えます。
ありのままの自分を表現すること。 それが本当の自分の強さになり、人との信頼関係にも繋がっていく。
今回の太田さんのレポートを通して、ぼくも改めて自分を見つめ直していこうと思いました。
自分を見つめて言葉で表現することで、また新たな自分に出会える。 とても大切なことを思い出させて頂けた、素敵なレポートどうもありがとうございました。
また再受講で太田さんにお目にかかれることを楽しみにしています!
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