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一日一日を、笑顔で味わい尽くす!

東京校  今安 正和さん(46歳 男性)


私が衛藤先生を初めて知ったのは今から4年前、先生が船井総研のセミナー講師として東京でお話をされた時でした。その講演では、シュンシュンや松下幸之助さん、葉っぱのフレディの著者で衛藤先生の恩師のバスカーリア先生、そして衛藤先生の生い立ち、虹の戦士といった受講生の方なら分かる、大変感動的な話をたくさんお聞きし、とにかく衝撃を受けたことを記憶しています。

 それから4年、私は現在長野県で専門学校の教員をしています。

 余談ですが、今回受講させていただいた講座のグループディスカッションの自己紹介ではいつも「長野県で専門学校の教員をしています。」とのフレーズから始めていました。その際何人もの受講生の方から
 (受講生の方)「え、先生ですか?」「何を教えてらっしゃるのですか?」
 (私)「えっと、コンピュータが専門なので、プログラミングやデータベースやネットワークを少々・・・」(今になって思えばお見合いの席の「お茶やお花を少々・・」じゃないので、少々は変ですね。)

(受講生の方)「え~、すご~い!」
 (私)「いや本当はよくわかってないんで、全くすごくないです。」
 みたいなやりとりを何度もさせていただきました。
 この「すご~い!」(ほとんどが女性、ここがポイントだと思います)の声に私がどれほど励まされた(いい気になった)ことか、本当にうれしかったです。皆さんありがとうございました!(話を戻して)

 専門学校ですから、2年間の学びの後、社会で即戦力として役立つプロを育成することが目標です。もちろん現実問題として、2年間の学びのみでそのまま社会で役立つ人材育成は難しいと思いますが、せめて入社した会社で、新入社員として職場の方々よりかわいがられ将来を期待されるような、そんな職業人としての基礎は培ってあげたいと考えております。

 そんな思いで日々仕事に向き合っていますが、実際の学生をみてみると、いつも笑顔で、周りの人の役に立ちたいとの思いを持った、そんなすばらしい学生もいるのですが、一方自分で好きな道を選んで入学したにも関わらず、どこか無気力で、常にストレスを抱え、何をやるにもそれは自分に損か得かの計算をする自己中心的な考えをし、経験が乏しいのにプライドだけは高く、新しいことに挑戦する勇気に欠けた、企業側からすると極力採用したくない、そんな学生も多いようにも見受けられます。

 学習や生活、あるいは就職面談として学生と一対一で話をすることも多いのですが、話を聞いていく中で、どこか自分に自信がなく、打たれ弱い(心が弱い)印象を受ける学生が増えています。どうしたらこの子達を社会で喜ばれる人財(当校では「人材」に「人財」の文字を当てます)に育てていけるのか、自問自答することが多くありました。

 中には話しているうちに感極まって泣き出してしまう学生や、学校というより家庭や親の問題(親が自分を認めてくれない、ひどい場合はDVやネグレクトと思えるものまで)に話が及んで面談時間が2時間3時間といったことも多々あります。
 私たち教師は学校で『コーチング研修』も受けていますので、面談の際には自分の考えを押し付けるのではなく、できるだけ学生の話を聞くことを中心に(本当に難しいですが)心がけてきたつもりでした。

 その際にコーチングの手法を使って学生が自分自身で、自分の問題点や自分がやるべき事を見つけてくれればと考えながら面談を行っているのですが、現実にはコーチングにもっていくことができず、鬱的な学生(私の勤めている学校に限ったことではないと思いますが、心療内科に通っている学生も増えているように思います。)の場合には、ただただ学生の気持ちに寄り添ってあげることしかできない自分がいて、教師としての力量不足を感じることも多くなっていました。

 そんな時衛藤先生のことを思い出し、東京と長野の距離はありましたが、土曜日や金曜日の夜(職場は早退をして)であれば新幹線通学でなんとか通えるのではないかと思い、今回受講させていただくことになりました。

 5月の体験セミナーに始まり基礎コース前編から後編へ、そして基礎コースが終了するときには、季節は激しいゲリラ豪雨の梅雨を通り越して真夏へと変わっていました。私自身も受講させていただく中で、もともと学生の為の受講と考えていたものが、段々と自分自身の為の受講に変わっていくのを感じていました。

 自分自身の為の受講だと感じた最大の理由が、週に一度銀座にある東京校に通うことが私の一週間の最大の楽しみになっていったことが挙げられます。その理由としてもちろん衛藤先生の笑いあり涙あり、感動ありのお話をお聞きできることが大きかったです。

 いつも一番前の席で受講させていただいていたので分かるのですが、衛藤先生御自身悲しい話をされる時はほとんどいつもと言っていいくらい涙を流されるのですね。これには正直かなり衝撃を受けました。きっと先生の中では何百回と語り尽くされてきた話だと思うのですが、それを毎回毎回、初めて語られるように涙される。まさに森田療法の「今に生きる」を実践されているのだと感じました。教師としての私には最高のモデリングでした。

 衛藤先生は講座の中や七田先生との対談の中でも学校はもっとエンターテイメントでなければならないと語られていました。まさに先生の講座の様に。例えば歴史の授業で織田信長の話をする時には信長のコスチュームで登場してもいいんじゃないかと。私も例えばネットワークの授業で、無線LANを語るときに、“頭に無線LANのアンテナをつけたまま”学生が唖然とする中授業をやってみたい(!)と密かに思っております。(学生たちが突っ込んでくれることを願いながら・・・。でも反応がなかったら・・・怖いですね。)

 感動の講座に加えて私にとって楽しみだったもう一つのことは、毎回同じテーブルに座り合わせた受講生の方々とグループディスカッションをすることでした。本当にいろいろな方と御一緒させていただきました。企業にお勤めの方、自営業の方、主婦の方、学生さん、若い方からご年配の方まで、本当にたくさんの方がそれぞれの人生の問題に対峙し、そして学ばれようとする姿勢に大変感銘を受けました。そしてグループディスカッションの中でいろんな考え方やいろんな立場からの意見を伺ったり、またワークを御一緒させていだくことが何にも代えがたい楽しみになっていきました。

 受講生の皆さんに共通することですが、本当に皆さん笑顔が素敵で、毎回毎回の講座を楽しんでいらっしゃって、そんな中にいると自分も思わず笑顔になって、心から講座を楽しむことができました。本当に楽しい日々でした。ありがとうございます。

 皆さんと御一緒させていただいた講座の中で私にとって特に思い出深いのが、後編第4回目の音楽療法でした。丸山先生のご担当で、ミュージックセラピーの最後に過去(若い頃)の自分の父親、母親に会いに行くワークがありました。私の両親は既に他界しておりますので、実際に会うことは出来ません。でも心の中では会いたいと願っておりました。

 私の母は戦争中に10代、20代という青春時代を過ごしたため、学校に行くことができず、そのため文字を書くことも出来ず(自分の名前もいつも父に代筆をしてもらっていました)本当に苦労したと思います。でも私は母から苦労したと言ったことは一度も聞いた記憶がありません。私自身彼女が年をしてからの子供(母が39歳の時の子供)だったせいか、いつも母がそばにいて、愛してくれた記憶しかありません。

 彼女は家計を助けるためにいつも働いていました。近所の銭湯の掃除婦から、大工さんの現場の後方付け、夜は内職でジャンプ傘のばね部品の整理(一本が一銭の世界です)そして晩年はビルの清掃婦をして私を大学に行かせてくれました。最後は肝臓がんで亡くなった(ずっと調子が悪く早く精密検査を受けるように勧められていたにも関わらず病院嫌いで検査を受けなかったため、見つかった時には末期で手の施しようがなかった)のですが、病室に患者として寝ていても、お掃除の方がお掃除をしてくださるのが申し訳ないといつも先に密かに掃除をしたり、もうベッドから起き上がれなくなった時でさえ、枕元を一生懸命掃除していました。本当に辛く痛かったでしょうに私が見舞いに行くと、いつも笑顔で今日は食事が一口食べれた、水が一口飲めたと自慢する気丈な母でした。

 父も若くして海軍から戦争にいった人で当時の体重は80キロ以上の大柄で、言葉より手が先に出る様な大変に厳しく怖い存在でした。紡績会社で旋盤工をしながらオイルショックの煽りで早期退職を強いられた後も、嘱託として会社に残り(かなり辛い思いもしたと思います)きっと少ないお給料であったと思いますが、私にお金の心配をさせることなくなく育ててくれました。私にとってそんな両親は偉大なモデルです。経済的に豊かであったわけではありませんが、子供に十分すぎる愛情を注いで私を育ててくれました。

 そんな母と父にワークの中、自分の心の中で言葉を交わすことが出来たことはやはり忘れがたい想い出です。まさか講座中皆さんの前で涙するとは思ってもいませんでしたので、大変動揺もしましたが。私も両親には及ばないかもしれませんが、自分の子供のモデルとなれるような生き方をしたいと切に思います。

 これは全く私事ですが、自分の子供には妻の「真弓」から「真」の一字と母「寛子」から「寛」の一字をもらい「真寛(まひろ)」と名付けました。自分が愛した二人の女性、自分では勝ち目のない尊敬に値する大切な二人から頂いた大切な名前なのです。

 さてメンタルの講座に通わせていただいている3カ月間に、我が家の日常の中でもいろいろと感じることがありました。
 その一つが、『期待値の差』です。

 前編第4回の林先生の講座の中で、素敵な受講生のご夫婦のお話が終了レポートに書かれていたことを伺いました。

 それは奥様と旦那様との温かい関係や心優しい中学生の息子さんの話でした。そしてその話の中で、奥様が「もしビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのようなお金持ちが、家の子供を養子にしたいと言って10兆円もってきたらどうする?」と質問されたことに対して、旦那様が「そうは言っても養子に出すわけにはいかんだろう。」とお答えになる。

 それを受けて奥様が「そうよね。ということは我が家には既に10兆円以上の価値のある大切なものがあるということよね。」と言われたといった話でした。『幸せ』はもっとお金持ちになれば・・といったように『なるもの』ではなくて、既に自分の周りにある幸せを『感じる』力(このことも講座の中で何度も教えていただいたことです)だと教えられた素敵なエピソードでした。

 先ほども書きましたが我が家には3歳になる息子がいます。その息子を溺愛している妻に早速「昨日講座で聞いた話なんだけど、ビル・ゲイツがやってきてうちの子を養子に、その代り10兆円と言う条件を出されたらどうする」と尋ねたところ、即答で
 (妻)「養子に出す!」
 (私)「えっ、え~!?」(それじゃこの後の話に続かないんだけど・・・)
 (妻)「だってビル・ゲイツでしょ。私たちに育てられるより、きっと学ぶことが一杯あるでしょ。」
 (私)(た、確かにそうかも・・・。)
 一人で勝手に期待が大きくなっていた分現実は思ったようにいかないなと感じたエピソードでした。

 二つ目は、『知識よりも気持ち』です。
 妻には「お父さんはカウンセリングの講座に通っても無駄よね。こっちが一所懸命話をしていてもいつも「うん、うん、」って適当に相槌うっているだけだもんね~。」とか息子にも「お父さんの「うん、うん」は聞いてない証拠だよ。」と言われる始末。自分の日ごろの行いの悪さを反省する毎日でした。(自分ではパッシブリスニング<受動的な聴き方>のつもりなんですが・・・。)

 そんな時、妻の妹が実家(長野)に戻ってきたことがありました。旦那(銀行員)が転勤となり、新しい土地に引っ越しをしたばかりなのですが、旦那の帰りが毎日遅く、知らない土地でまだ仕事にも就けず、ホームシックになったとのことでした。
 (私)「う~ん。大変だね~。でも諸ちゃん(旦那)も転勤したばかりで、今はいろいろと大変なんじゃないかな。」と言うことしかできず、私としては何もしてあげることができなかったのですが、
 そんな妹に家の子供が
 (まひろ)「ユリちゃん(妹の名前)元気無いね。ユリちゃんどうしたの」と彼なりに励まそうとしていました。それに対して妹も
 (ゆりこ)「まひろ君!ユリちゃん新しい土地でお友達がいなくって、寂しくって帰って来ちゃった。諸ちゃん毎晩帰ってこないんだ。どうすればいいと思う?」って3歳の子供相手に人生相談を始める始末。
 子供はじーっと相手(妹)の目をみてうんうんと聞きながら
 (まひろ)「ユリちゃん寂しいんだね。ユリちゃん可哀そう。諸ちゃんに電話しなよ。ユリちゃん寂しいって・・」ってしっかり傾聴をしてアドバイスまでしているではありませんか。妹も
 (ゆりこ)「そ、そっか。うん、そうだよね。分かった。ユリちゃん寂しいだから、電話してみる!電話で諸ちゃんにちゃんと伝えてみるよ!」

 次の日彼女は無事旦那様の元に戻って行きました。大切なことは技術やテクニックでなく、本気で相手のことを思い、相手の話を聞こうとする態度と気持ちなのですね。
 自分の知識が活きていないことを大いに反省しつつ、そんなことを自分の子供から教わりました。これも講座に通っていなければ見過ごしていたことかも知れません。

 こうして最初学生の為、彼らを社会で役立つ人財に育てるためと通い始めた今回の講座でしたが、今思うことは、『学生の悩みを解決するため』『学生一人一人を社会で役立つ人財に育てるため』といったこと自体、私の「こうあらねば」という私自身のビリーフであったと気付いたということです。そして冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、学生が悩むことも、それは衛藤先生が何度も言われた様に、彼ら自身の『人生に必要な宿題』であってそれは彼ら自身の問題。

 もちろん私が聞いてあげることも出来るし、場合によってアクティブリスニングやIメッセージで相手に寄り添ったり、勇気づけたり、論理療法で相手の視点を変えたりすることは出来るかもしれません。でもやはりその問題自体は最終的に学生自身で解決するしかないのだと思います。

 そして私にやるべきことがあるとすれば、モデリングとして大人の生き方を彼らに見せることだと思います。文字通り先に生きているという意味で「先生」として、彼らに大人になることも悪くないな。働くことも、人生も何だか楽しそうだな、と思ってもらえるような生き方をすること。こう書くと何だかプレッシャーですが、いずれにしても私自身の人生でもあるので、一日一日を大切に笑顔で味わい尽くすこと。時には辛い時や落ち込む時もあるとは思いますが、それでもやっぱり笑えるように、自分らしく生きていきたいと思います。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:野本

カウンセリングの基本は、相手の話を聴くということ。その為に大切なことは<変えようとする前に、まずわかろうとせよ>だと講座で教わりました。
 今安さんのレポートを読ませて頂いて、この<まずわかろうとせよ>ということを本当に大事にされているのだと感じました。

 今安さんは講座に来られる時、毎回ニコニコ笑顔で受講されているのが印象的で、遠方から来られていることもあって一回一回の講座を真剣に学ばれていました。

 現代の教育の場で子供たちとの関わりの難しさは多くの受講生さん(学生さん、保護者の方、先生等)からお話を聴かせていただいています。今安さんも仰ってたように家庭でのトラブル、家族との関係で心が疲れてしまっている学生が多いのです。
 その背景には大人が活き活きとしていないことが大きな原因の一つだと思います。

 親御さんが育児、教育に自信を持てなく、どうしていいか分からずにDVやネグレクトをしてしまうケースが増えてきています。きっとどんな親も始めからそんなことをしたくてしている人はいないと思います。

 ただ自分自身の至らなさや弱さやずるさ受け入れることができなかったり、「こうあるべき」「こうあらねばならない」「もっと頑張らないと価値がない」と自分に対しての最高の批評家になって自信を持てなくなり、気がついたら家族との関係、職場や友人との関係がうまくいかなく悩むかたが少なくないと思います。

 講座で学んだ<聴く>ことだけで人は癒され、自分から悩みを解決していける能力があるということ。この講座を受講される多くの生徒さんが「聴いているようでき聴けていませんでした」とおっしゃるかたが非常に多いです。それくらい聴くことの難しさ、聴いてくれる人の少なさを感じます。

 難しいこと抜きに相手に寄り添ってただ聴くということが、たった5分でも足を止めて聴ける人がいたら「自分なんて生きてる意味がない」とうつになる人が少なくなるのではと先生方がいつも講座で話しています。

 その為には自分自身が穏やかに満たされていないと聴くことはなかなか出来ないと思います。自分で自分を満たすこと。完璧でなくても欠けてても欠けたままの自分を愛せること。
 それがカウンセラーにとってとても大事なことだと感じています。

 今回今安さんのレポートを読ませていただいて、今安さんのそのいつもかわらない笑顔、いつも穏やかで周りを「ほっ」とさせられるのは、きっと苦労したであろう今安さんのご両親が生き方、背中をみせて今安さんの最高のモデルになってくれたからなのだと思いました。
 そしてなによりも今安さんが心穏やかに家族や生徒達に<変えようとする前にまずわかろうとせよ>する姿勢で出会っているのだと深く感じました。

 情けは人の為ならずと言いますが、人はされたように返されるとということ。
 誰かの為にやれることはきっと自分に返ってくるのだと思います。

 今安さんが今安さんらしくこれからの未来を創る子供達に「大人は楽しいぞ」と笑って背中をみせる最高のモデルになることを心から応援しています!

 素敵なレポートを本当にありがとうございます。